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不思議なおじさん中西研二の波乱万丈、涙と笑いの人生から学ぶ「人間っておもしろい」
不思議なおじさん中西研二の波乱万丈、涙と笑いの人生から学ぶ「人間っておもしろい」

不思議なおじさん中西研二の波乱万丈、涙と笑いの人生から学ぶ

「人間っておもしろい」


第1回 「海の水が塩辛いのは、塩鮭が泳いでいるから!」???

少年時代

昭和23年3月2日、東京都品川区戸越公園の近くで研二は産声をあげた。

「早起き鳥のケン坊だい!」

「早起き鳥のケン坊だい!」

そのころの日本は敗戦で東京は焼け野原、父47歳、母42歳のときにやっと生まれた長男だった。6人姉弟で末っ子、上には5人の姉がいた。コの字型の長屋に共同の井戸と便所が各ひとつ、そんな長屋のウナギの寝床の6畳一間に6人の家族が暮らし、2人の姉は住み込みで奉公に行っていた。

研二のあだ名は『早起き鳥』、毎朝5時に長屋の人を起こすのが日課だった。「朝だよ〜起きて〜朝だよ〜」と大声で戸を叩きながら近所を一軒一軒回るのだが、「ケン坊!うるさいよ〜まだ早すぎだよ〜!」と怒鳴られながらも、この日課は欠かさなかった。

母はとても面倒見の良い人で、長屋の住民をはじめ、近所の人たちの世話をし、みんなの人生相談にのっていた。父は和服の仕立てを生業としていた頑固な職人であったが、いつも仕事をしながら好きな落語、浪花節、歌謡曲などのラジオを聴いていた。そんな父の影響をうけて、子どものころから落語や浪花節の世界が好きになっていった。

近所のいたずら仲間と

近所のいたずら仲間と

5〜6歳のころは、近所のお兄ちゃんたちと、鞍馬天狗ごっこ、駆逐水雷(戦争ごっこ)、めんこ、鬼ごっこ、かくれんぼ、ありとあらゆる遊びに夢中になったが、なにしろ負けるのが大嫌いで、負けると大泣きし、相手が根負けして「わかったよ〜ケン坊の勝ち」と言ったとたん、ぴたりと泣き止むという負けず嫌いだった。

また正義感が強く弱い者いじめが大嫌い。1年生の時に、2年生に同級生がいじめられていると、いじめた上級生を追いかけて行き、防火バケツの水を頭からぶっかけてやっつけた。

算数の時間に、足し算を教える先生にむかって「どうして1+1が2になるの?」と聞き、先生が「ここにリンゴが1つあるでしょ、そしてもう1つ足すと、2個になるでしょ? わかる?」と答えると「わっかんな〜い!だって1個食べちゃったら1個だし、1個を切ったらもっと増えるでしょ?」と答える始末。

七五三ではちょっとおすまし

七五三ではちょっとおすまし

また音楽の時間にみんなが歌う『はとぽっぽ』がばかばかしくて歌わない。先生に歌えと言われれば、「こ〜んなべっぴん見たことないとか何とかおっしゃって〜」と当時の大人が歌っていた歌を歌いだす。先生にとって、本当に扱いにくい大変な子だった。

授業参観のあった理科の時間には、「何で海の水が塩辛いのか知ってる人」という質問に真っ先に手を挙げて、得意満面にこう答えたという。「海の水が塩辛いのは、塩鮭が泳いでいるから!」。母の代わりに参観していた姉は二度と学校にいくのは嫌だと両親に訴えた。

みなが直立不動で校歌を歌っているときも、自分は振り付けをつけて歌った。何でも楽しくやりたかった。

大人からは何でおとなしくできないのかと叱られてばかり。今で言う多動性障害である。テストは白紙で出していたので成績はオール1。

しかし4年生で漢字が好きになり、ものすごく本を読んだ。図書館の本もかたっぱしから全部読んだ。だが人から短足と言われるとすぐ喧嘩して、相手をコテンコテンにした。

そんな研二に生涯忘れられないある出会いが待っていた。

(つづく)

2009年08月20日掲載

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