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わくわくケビンのここだけの話
わくわくケビンのここだけの話

2006年5月号
すべてを委ねて生きることの幸せを知る

NPO法人JOYヒーリングの会理事長・ヒーラー
中西研二(ケビン)

自分にできることは、すべての思考の流れを観ること

今年は皇紀でいえば2666年にあたるそうです。6が3つ並びますね。それだけにさまざまな話があるようです。トータルヘルスデザインの近藤洋一社長が講演の中で話されているのですが、大本教の出口直のお筆先に「三千世界 一度に開く 楳(うめ)の花」というのがあるそうです。

「梅」を「楳」と書いていることに意味があると説明してくださいました。つくりの側の「某」とは「私」のことです。「私」という字の「禾」は稲穂が垂れ下がっていることを表す象形で、「厶」は、それをひとり占めする意味があるそうです。つまり、この年回りに入ると人々の自我が咲き乱れる時代となるようです。しかし、結果も早く現れ「良い事」をすればすぐに「良い事」になり、困り事や「悪い事」をすれば、すぐにそれはあからさまになってしまう時代だということです。毎日報道されているニュースを見ていると、なるほどとうなずけるような気がします。

そういう目で世の中全体を見ますと、私自身を筆頭にみんな本当にわがままですね。それこそ、あちらでもこちらでも「楳の花」が咲き乱れています。個人の内側から家庭内、地域社会から、日本全体、ひいては世界中のすべての「楳の花」が蔓延しています。しかし、このことは決して新しいことではありませんし、有史以前から今日まで人類の課題として常に取り組まれてきたテーマでした。出口直さんが言っているのは、白黒がはっきりする時代になってきたということでしょうか。

ただ最近の私は「私」が嫌いではなくなりつつあります。「楳」が「梅」に見えだしたのです。ヒーリングを始めた当初から「良い悪い、正しい間違っているはない。すべては時の権力者(力の強い者)の決め事」と言い続けてきましたから、正しさで人の「わがまま」をスパッと切るというやり方はしないように心掛けてきましたが、最近はそれとは違うのです。「わがまま」は「わがまま」でいい。そのままを受容することが日増しに多くなってきました。もちろんディクシャがもたらした脳内変化の結果であることは間違いありません。

「人類はワンマインドです」とはカルキ・バガヴァンの教えです。それによれば、人類は古代から続く思考の流れを共有している、というのです。ですから自分の考えというのは自分の考えではなく、共有の流れが流れ込んでいるにすぎない、ということになります。しかし、各自に流れ込んだマインドは、独自性を主張します。そして他人と比較して優越性を誇ったり、逆に他人に嫉妬したりと忙しく反応し続けています。その事をやめようとしたり、押し殺せば、かえって強大になって苦しみを増していくことになってしまいます。だから私たちにできることは、それらすべての思考の流れを観ることしかありません。観ることができれば、それは喜びに変わると、バガヴァンは言っています。

充実して過ごせた満員電車内での出来事

インドのアドバンスコースを終えて帰ってきてから、思考の流れが見えだしたというより、私も他人もない、同じ川の同じ水を飲んでいることを実感し始めたのです。そしたら「わがまま」がとても愛らしく、抱きしめたい衝動にかられることさえあるようになりました。あなたの中にあるものは、私の中にあるもので、特殊なものなんてありません。あなたが誰にも知られたくない、薄汚れた秘密だと思っていたものさえ、私の中にあるものなのです。私はあなたがゴミ溜と思っているものさえ、本当に愛しいものに思えます。

ある日の電車の中の話です。朝のラッシュアワーでしたから、満員電車でした。私は運よく目の前の席が空いて座ることができました。これで40分ほど眠ることができると思った途端、次の駅で腰の曲がったおばあちゃんが乗ってきたのです。とっさに立ち上がり席を譲りました。その時右隣りに座っていた息子も立ち上がり、私に座るように促したのです。私は息子の好意を喜んで受けることにしてまた座り直し、ウトウトしていました。ところがまたまた腰の曲がったおばあちゃんが乗ってきたのです。またしてもとっさに立ち上がって席を譲ったのですが、そのとき今度は左隣りに座っていた高校生が、もう一人の年配者に席を譲ろうとしたのです。「次降りますから、結構ですよ。ありがとう」と言われていました。その高校生は私のような年配者が席を二度も代わっているのを見ていたたまれなくなったのでしょう。なんだかその高校生が大好きになりました。それから程なくその高校生は降りていきました。その席はもちろん空席になったのですが、大学生の大柄な男性が周囲をかき分け座り込みました。そして誰の目も見ないよう、すぐに眠っていました。その青年の心も、私の中にあるものでした。それに気づいたとき、その青年のことも大好きになりました。その日、結局私たちはずっと立ったまま、目的地までの充実した時間を過ごしました。前述の出口直のお筆先ですが、続きがあって「『楳』で開いて『松』で治める」とあるそうです。「松」の字の「公」の「ハ」は分かれるという意味がありますから、分かれたものを「厶」でひとつにするということでしょう。まさに分離から統合へと向かうという意味だと思います。私はもう決して努力をしないことにしました。すべてを委ねて生きることの幸せを知ってしまったら、後戻りしたくてもできません。一日一日し幸せ感が増しています。あらゆることが喜びになってきました。

(合掌)

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