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対談:バンスリ奏者 パンチャ・ラマ氏×中西研二/ヒマラヤの風に乗って…バンスリの音は人も動物も木も花もすべてを包みこんでいく

ネパールの民族楽器をたずさえて来日14年。独学というその腕前は、15歳でプロの道へ進むほど。ヒマラヤの雄大な自然をバンスリに乗せて演奏される音は、私たちの心の奥深く眠る「懐かしい」ものを目覚めさせてくれます。日本だけでなく多くの国々の人を感動させるその音楽は、先ごろ、NHKでも紹介され、ますます多忙なパンチャ・ラマさんにバンスリの音の秘密などをうかがいました。

ヒマラヤの風に乗って…
バンスリの音は人も動物も木も花もすべてを包みこんでいく

バンスリ奏者 パンチャ・ラマ氏×中西研二

パンチャ・ラマ●幼少のころから音楽や民俗舞踏に親しみ、竹の横笛「バンスリ」を吹きはじめる。14歳の時スカウトされ、ネパール国営放送の専属プレイヤーになり、プロ活動をスタートする。 以来ネパールにおいて、テレビ・ラジオ関連の演奏やレコーディングは数千曲におよび有名なヒットメーカープレイヤーである。 1994年来日。 1995年、大阪花博への出演をきっかけに日本や韓国、ヨーロッパなど世界でも活躍。 2004年、2006年コンサート「アジアンパラダイス」主催。2007年9月、NHK(BS1)「アジアクロスロード」に出演。
参加イベント
NGO主催「国際協力フェスティバル」 、横浜国際協力まつり、淡路島「花博」 /他 。
リーダーアルバム
「チョウタリ」 「ジャルナ」 「ヤトラ」 「プレイ」「皈れ古園へ」「バンブースピリット」/他に、さだまさしのCDに参加。DVD「アジアンパラダイス」。現在CD「クリシュナ・リラ」制作中。
http://www.tamtam-web.com/ry/pan.html

中西研二(なかにし・けんじ)●1948年東京生まれ。NPO法人『JOYヒーリングの会』理事長。有限会社いやしの村東京代表取締役。ヒーラー。ワンネスディクシャインストラクター。新聞記者、セールスマンなどさまざまな職業を遍歴の後、1993年に夢の中でヒーリングを伝授され、以来15年間で18万人を超える人々を癒し続けている。また、2004年9月にワンネスユニバーシティでワンネスディクシャという手法を学び、以来、この手法を通して、多くの人々がワンネスの体験を得る手助けをしている。著書に『そのまんまでオッケー!』『悟りってなあに?』(共にVOICE刊)がある。

魂に響くネパール民族楽器バンスリ

中西 「NPO法人JOYヒーリングの会」の会員さんの中でもファンの多いパンチャ・ラマさんの演奏ですが、日本で行うライブ活動のほか、アジア、ヨーロッパ、アメリカと世界中で演奏活動をされているお忙しい中、今回は特別においでいただきました。パンチャさんは日本で活動されるようになって何年になるのですか?

パンチャ 日本のあるネパールレストランの専属ミュージシャンとして演奏するために呼ばれて来たのが1994年ですから、もう14年になりますね。
その後、大阪花博に招待されるなどしてだんだん日本での活動が広がっていきました。

中西 パンチャさんが演奏される楽器はバンスリという竹でできた横笛の民族楽器ですが、ネパールでは「バンスリの天才」と言われネパールを代表されるミュージシャンなんですよね。
15歳でプロとして活動されていたとか。私が実際に経験したことですが、ネパールのある料理屋さんでパンチャ・ラマさんを知っているかと聞いたら、「すごい有名人だ。ネパールで知らない人はいない」と言っていましたからね。バンスリに触れるようになったのはいくつぐらいからなんですか?

パンチャ よく覚えていませんが5、6歳くらいからやっていました。でも先生はいません。独学です

中西 じゃあ、他の人が演奏するのを聴いて覚えたのですか?

パンチャ 当時はバンスリという楽器を吹く人もあまりいませんし、ラジオもたまにやるくらいでしたので、自分で修得しました。

中西 え!それはまさに天才の領域だね。

パンチャ 初めて手にしたとき、「ただの竹なのに何でこんなすばらしい音が出るんだろう」と不思議に思い、「何で、何で」といじっているうちに覚えてしまったのです。あるとき、小鳥が近くでかわいい声でさえずっているのでバンスリで話しかけると、またそれに答えてくれたりして小鳥との会話を楽しんだこともありました。

中西 それは素晴らしい世界ですね。バンスリはフルートの原型になった楽器と聞いていますが、日本の篠笛にも似ていますね。

パンチャ 似ているところがたくさんありますね。バンスリは祭りには欠かせない楽器なんですが、日本の祭り囃ばや子しにもよく似ています。

中西 バンスリの音は郷愁を誘うというか、日本人の感性に合いますよね。

パンチャ そうですか。沖縄民謡の音階とよく似ていますしね。ヒマラヤの山に住むタマ民族の音階と沖縄民謡は非常によく似ているんですよ。

ネパール的な時間の感覚

中西 ネパールに帰ったときは演奏会をやるんでしょう?

パンチャ 向こうでは村の人と祭りをしたり、若いミュージシャンたちを集めてやるくらいです。ネパールへ帰ったときはコンサートをあまりやらないようにしています。

中西 どうして?

パンチャ ネパールでは歌の入らない楽器だけのミュージックというのがあまりなかったのです。最近ではだんだんそういう形も受け入れられてきていますが、それだけに納得した形でコンサートをしたいのです。良くも悪くもみんなのんびりしていて…。私は音を大切にしているので、できたら自分の納得のいくコンサートを開きたいと思うと、ネパールの習慣となかなかテンポが合わないし、ネパールの人に楽器だけのミュージックをきちんとより素晴らしいものにして届けたいと思うと、まだなかなか難しいのです。

中西 ネパール的な仕事の時間感覚があるのですね。私も一度だけネパールへ行ったことがありますが、みんな人柄が温かいですね。たとえばおみやげ屋さんに入るでしょう。他の国だと「外国人相手価格」で売ってきたりすることが多いのですが、ネパールのおみやげ屋さんに入った時、自分がどんな理由でネパールにきたかという話をしたら「じゃあ、いくらでも安くするよ。そんな日本人だったら儲もうけはいらない」って…(笑)。そういう優しいところがありますね。

パンチャ ネパール人同士でもすごく相手を大事にしますが、特に外国からきた人にはお客さんとして接しますからね。

中西 弟のサラバン・ラマさんも一緒にコンサート活動されているんですよね。

パンチャ そうです。弟は2001年に来日してから一緒に活動しています。彼は打楽器の奏者ですが、「神様からの贈り物」と感じるほど早いスピードで技術を習得していったのです。実は私がネパールにいるとき、弟は音楽をまったくやっていなかったんです。日本に来るにあたって勉強してきたのですが、弟が音楽を始めた年齢では、マスターするのはほとんど無理とネパールでは言われています。でも今ではプロとして意欲的に世界中のミュ
ージシャンと共演しています。

中西 天才的ですね。

パンチャ だから「神様からの贈り物」と思うのです。

8年ぶりの故郷は内戦で荒廃していて…

中西 パンチャさんは演奏活動をされてCDやコンサートの収益金でネパールの生まれ故郷のサララヒ・グルコーリ村に小学校を建設されたそうですが、きっかけは何かあったんですか?

和やかに話は弾んで…/撮影:染谷育子

和やかに話は弾んで…
撮影:染谷育子

パンチャ 日本での演奏活動が順調にいきだしたころ、久しぶりに故郷に帰ってみたのです。8年ぶりでした。
戻ってみると、懐かしい故郷はただ懐かしいだけではなく、内戦で荒廃した様子を目の当たりにしたショックがひどかったです…。特に母校の小学校の荒廃はひどく、床ははがれ、机もトイレも壊れ、しかも小学校に行けない村の子どもたちが多数いることに驚きました。私が日本で自分の活動に没頭している間にこんなに荒れ果ててしまったことにショックを受け、自然に「自分にできることは何かないか」と思い始めたのです。初めはおもちゃとか学用品をあげるくらいしか考えていなかったのですが、日本に帰りチャリティコンサートなどを開いているうちに協力してくれる方々が増えていき、結局、日本の皆さんの応援で翌2003年には「パンチャ・イサカ小学校」を建設することができたのです。本当に感謝しています。

中西 今、学校の状況はどのようなものなのですか?

パンチャ 今は約245人の生徒が通っています。その内5歳〜15歳の24人は内戦などで孤児になった子どもで、併設された寮で生活しています。先生とボランティアの方がそれぞれ5〜6人で面倒をみてくれています。

中西 それはけっこう規模が大きいですね!では孤児院が学校内にあるわけですね。それでは維持費がたいへんでしょう。

パンチャ 年間約250万円はかかります。ネパールの人の生活水準は月収1万から2万円ですからたいへんな額です。また学校の維持費だけでなく、孤児の子どもと先生の生活費もあります。子どもが病気などしたら医療費が大変なのです。できてから2年ぐらいは大変なことの連続でした。私の音楽活動の売上だけではとてもまかないきれませんでしたが、今は現地のネパール人の協力なども得ることができてなんとか維持していっています。

中西 でも村の人にとってパンチャさんは頼りの綱ですよね。

パンチャ 「パンチャが来る」となると、みんな口を開けてまっているような存在です(笑)。村の人にもいろいろ期待されることにもなり…(笑)。

でも、自分はボランティア活動家ではなく、あくまでも音楽家だから「できる範囲内のことしかしません」と、村の人にも言ってあります。今は十分に学校運営に関して動くことができませんが、村の人々や日本の皆さんのおかげで運営することができている状況なのです。

中西 でも、それだけたくさんの人に支えてもらえるなんて、奇跡的なことですよね。それは演奏の素晴らしさと共にパンチャさんの人柄ですね。私たちもおかげでバンスリという素晴らしい楽器に出会えることができました。私も日本中の人に支えられているので、パンチャさんの気持ちはよくわかります。

パンチャ たくさんの人に会えて、日本に来て本当によかったです。

音楽を通して「旅人たちの休憩所」を作りたい…

中西 パンチャさんの音楽を聴くと日本の懐かしい情景が目に浮かびます。ところで、バンドの名は「チョウタリ」と言うそうですが、どういう意味なのですか。

パンチャ ネパール語で、「休憩所」という意味です。ネパールの国には菩提樹の木がたくさんあり、その木陰で人々がちょっと休めるような休憩所がたくさんあります。そこは石を組んだ壇になっていてイチジクの仲間のインド菩提樹とベンガル菩提樹の大木が2本植えられています。

木陰のおかげでチョウタリはいつも涼風がそよぎ、木の実を食べる鳥のさえずりも聞こえてきます。そこは鳥も植物も人もみんなでそのスペースを共有していて、まさに何でも、誰でもありの空間なんです。そんな安らげる空間を音楽を通して作りたいという想いを込めてつけました。

中西 それは素晴らしい。そういう分かち合い、助け合いのコミュニティーがネパールにはごく普通にあるのですね。

パンチャ できたら、そのうちに「チョウタリ村」を作りたいなと思っているんです。

中西 それはいいねえ〜。日本人もネパール人もない国境を越えたコミュニティーですね。

パンチャ 「いやしの村」の真似みたいになってしまうかな(笑)。細かい計画はまだないのですが、みんなで大きな夢を描いています。

中西 音楽は言葉がなくても、音楽を通して語り合えますからね。これからもぜひ日本に限らず世界中ですてきな活動を続けてください。「いやしの村」にはパンチャファンが多いので、みなさん喜びますよ。今日は忙しい中ありがとうございました。(合掌)

パンチャ・イサカ小学校への募金のお振り込みは、
「チェトナサンデス会 郵便00140-8-669426」までお願いします。

「いやしの村だより」2008年4月号掲載

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