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対談:仁科幸子さん×中西研二 すべての子どもたちが自由で幸せに、楽しく想像力豊かに生きられることを願って…

日常生活の中で忘れていたような癒されるお話、不思議でファンタジックなお話、対談の場は温かな雰囲気に包まれました。
絵本作家の仁科幸子さんは海外での評価のほうが高いと言われますが、多くの学校の現場での想像力をかき立てるようなユニークな授業に、子どもたちはたちまちイキイキとして、先生方にも子どもたちにも大好評。
絵本の上だけでなく、現場の子どもたちを相手の実践家でもあります。

すべての子どもたちが自由で幸せに、楽しく想像力豊かに生きられることを願って…

仁科幸子さん×中西研二

仁科幸子(にしな・さちこ)●山梨県大月市生まれ。父の転勤で子ども時代を雪深い新潟や会津若松で過ごす。現在大月市在住。多摩美術大学卒後、日本デザインセンター永井一正氏のもと、グラフィックデザイナーとして勤務後、95年に絵本作家として独立。
森や目に見えない精霊、小さな生きものなどをテーマに創作開始。91年から94年まで銀座松屋「愛を植えよう」のクリスマスキャンペーンにて「パップンピットのおはなし」の絵本を制作、日本のブナ林とドイツのもみの木に売り上げの半分を寄付。96年よりニットのメーカートマツにて「sachiko nishina」のブランド開始。ニットの商品にハーブの種を配布。大月市猿橋幼稚園壁画制作。大月市の小学校では、子どもの感性を伸ばすワークショップを展開。小学館童画大賞、メキシコ国際ポスタービエンナーレ展、スイスグラフィスポスター展、富山ポスタートリエンナーレ展などに入賞、入選多数。2007年台湾、台東大学にて講演、児童哲学研究所ゼミ、試品書店にて曹老師、楊教授と座談会。トトロ幼稚園にて読み聞かせ。絵本に「クローバーのくれたなかなおり」「あめのひのただいま」「なんにもしないいちにち」「おはようのはな」(以上フレーベル館)、「はなのがっこう」「よるがきらいなふくろう」(以上偕成社)「そよそよさん」(徳間書店)、「やってくる やってくる」「とびきりのおくりもの」(以上校正出版)、「そよそよさん」(徳間書店)「MOON森のたからもの」(ブロンズ新社)など多数。挿絵に「フェアリーレルム} (エミリーロッダ著/童心社)などがある。

中西研二(なかにし・けんじ)●1948年東京生まれ。NPO法人『JOYヒーリングの会』理事長。有限会社いやしの村東京代表取締役。ヒーラー。ワンネスディクシャインストラクター。新聞記者、セールスマンなどさまざまな職業を遍歴の後、1993年に夢の中でヒーリングを伝授され、以来15年間で18万人を超える人々を癒し続けている。また、2004年9月にワンネスユニバーシティでワンネスディクシャという手法を学び、以来、この手法を通して、多くの人々がワンネスの体験を得る手助けをしている。著書に『そのまんまでオッケー!』『悟りってなあに?』『あなたはわたし わたしはあなた』(共にVOICE刊)がある。

自由にさせていただいた永井先生に感謝

絵本「白い月の笑う夜」より(文溪堂)

絵本「白い月の笑う夜」より(文溪堂)

中西 仁科さんは絵本作家としてご活躍ですが?

仁科 私は大学を出てグラフィックデザイナーの永井一正のもとで長年グラフィックデザインをやっていましたから、自作の最初の絵本は97年の出版なので、作家としてスタートはとても遅いです。ただ今はファンタジーブームですけど「ナルニア国物語」のC・S・ルイスなど外国では60歳過ぎてから有名になる人が多くて、フィリッパ・ピアスという有名な児童文学者の言葉に「子どもの本を書く人は、心が成熟した大人でなければ本当の子どもの本は書けない」とあります。彼女も60才を過ぎて最高の文学を書きました。子どもの本は魂に直接働きかけるものなのでごまかせないのです。私はまだまだ経験も足りないし、視野が広がりグラフィックをしていた時間は無駄でなかったと思います。

中西 では、グラフィックデザインの仕事は本来の目的ではなく、将来絵本作家になるために世の中全体を知るためのステップだったんですね。

仁科 今思うと、そういうことになりますね。永井先生が日本を代表する巨匠だということも知らなかったのですが、そのとき自分は将来絵本作家を目指しているということをお話ししますと先生は「自分の好きな道があるならがんばりなさい」と言ってくださって、そこでは本当に自由に仕事をさせていただきました。

お勤めしながら毎年、個人的にオブジェの展覧会をやったり、日本やドイツの森林保護のためのチャリティブックの「パップンピット」の創作も出来、その後の私の創作テーマにも発展しました。次にNHKで私の絵本をテレビ化したいという話が持ち上がり、さらに忙しくなってしまって、自分のやりたいことがオファーでいっぱい来ているのにそれを勉強する時間がなく悩んだ末、会社をやめさせていただいて独立したのです。

ありがたかったなと思うのは、永井先生は、デスクワークだけでデザインしていてもいい仕事ができないから、どんどん外に出て自由に時間を使うように…と。クリエイターにとって自由であることは最低条件だ、とおっしゃってくださいました。だから、会社のあった銀座をぴょんぴょん遊び回っていたように思います(笑)。本当にありがたいことでした。

 

無になって神に感謝したら、たくさんの「見えない世界」からの応援が…。

中西 素晴らしい師に巡り会われましたね。そこを出られてから、いよいよ絵本作家として創作活動に入られたのですね。

仁科 私は絵の勉強をしたくて会社を辞めたので、後のことは何も考えていなかったのです。当時、精神世界の本が世に出始めていて、「自分の好きなように生きた人には、神様がそのレールを敷いてくれて生きられるようになる」というような言葉が流行っていたので、そのことを信じようと思って辞めたのですが、辞めてしまってからアパート代の13万円をどうしようかと思うと不安で自律神経がおかしくなり、眠っているのに足踏みをしているような感覚に襲われ、2ヶ月で12キロ体重が増えてしまいました。(問題が解決すると共に一週間で5キロずつ痩せたけれど)

そのようなときに、「サチコ・ニシナ」のブランドを作りませんかとお話がきました。私が2週間ぐらい絵を描くことで年間400万円もいただけるというありがたいお話なのです。そのときのことは今でも忘れません。帰り道、星空に月が出ていたのですが、なんともいえない至福感に満たされて、「私は生かされているんだ」と思わず月に向かって「神様、ありがとう」と手を合わせました。絵を描くために会社を辞め、このようなありがたいお話で経済も回り、そのために絵を描くための自由な時間もできたのですから。

このときから私は一人でいることを淋しいと思わなくなりました。いつも創造主の元、生かされていると感じられたからです。その頃から不思議な現象が起きてきて、例えば「撮って!撮って」という声が聞こえた気がして写真を撮ると、そこに天使が写っていたり…。

ある時、友人から100本のカーネーションを頂きドライフラワーにしようと水を入れない花瓶に挿していたら、他の花は真っ茶色に枯れたのにピンクとグリーンの2本だけが、1ヶ月を過ぎても生き生き咲いているのです。部屋に妖精がいると感じていたので、「妖精さん、いたずらして2本だけ花を生かしてるでしょ? 写真に撮っちゃうよ」と花の写真を夜に撮ると、翌日カーネーションは茶色く枯れていたのです。

中西 エー! 本当ですか?

仁科 植物との間にはまだまだ不思議なことがたくさんあるんですが、彼らがよっぽど困って力を貸してくれと微力の私にでも来ているのだと胸が痛く感じました。また、こんなこともありました。妖精のオブジェの展覧会で、搬入の2日前でした。夜中に目が覚めると天まで届くような真っ白な大きな大黒様が立っていらっしゃるのです。「ワアー、大黒様!」と思い電気をつけたら消えたんです。それから夢の中で雲に乗った七福神が何度も降りてきたり…。その大黒様は私の実家のおばあさんが仏壇に飾っておいた木彫りのもので、自分のかわりに人間界で片腕として仕事をしてくれる人を探していて、私を指名してきているということが分かりました。そこでその大黒様を東京の自分の部屋にもってきて般若心経やご真言を唱えてお祀りし、出かけるときには「行ってきます」とごあいさつして出かけるというように、生活の中で大切に接してきました。大黒様や七福神様からはいろいろ教えられることがありました。

 

想像力を豊かにできる絵本を…

絵本「白い月の笑う夜」より(文溪堂)

童話「たんじょうびのやくそく」はりねずみとちいさなおとなりさんシリーズ
(フレーベル館)

中西 作品ではどういうことをテーマにされているんですか。

仁科 今は想像力を豊かにできるようなものを考えています。ファンタジーとかメルヘンとか一見日常の生活と関係ないように思われますが、例えば八方ふさがりと言ったときに八方はふさがっていても上下は空いているではないか、ということに気づくように…。何かのトラブルに出会ったとき、それを乗り越えられるような力、それが想像力ではないでしょうか。

想像力が働けばケンカをしたとき、いじめにあったとき、いろいろな解決策が見つかるかもしれない。多方面から考えられれば、強く楽しい人生が歩んでいけるのではないかと。それには感性が大事で、自分の人生をただ長生きするのではなく、年など忘れるくらい最期まで生き生きとしていてほしい。生き生きするにはどれだけ心が感動したかです。ケビンはどんなことにでもすぐ喜ぶじゃないですか(笑)。あれってなかなかできないことなのです。

私はたくさんの学校を訪ねて講演をしたり授業をしていますが、今の子どもたちは冷めていて熱くなれない。小さいときからどれだけ感動するか、大人になってもそれを持続できるか、そのことが大事なことなのです。小さなことにも目を向けて、葉っぱが色づいてきたな、道端の石ころにもいろいろな形、色があるな、と繊細な感性を養ってほしいですね。

子どもたちと水の音、風の音を聞いているうちに、そこに虫がすんでいて、花が咲いて、自然の移り変わりを感じ取る。そうやっていると思いやりの心が生まれてきて、友達との関係もうまくいく。絵本はそういうことを押しつけにしないことが大事で、何気なく読んだら何かが心に残った、知らず知らずのうちに優しさ、思いやりの心が生まれた、それでいいと思います。

私の絵本にハリネズミやヤマネコが出てくるんですが、自分の今まで知らなかった小さな生命にも愛情を傾けられるような優しい気持ちになってくれたらいいなと思います。

 

愛情深い両親のおかげで人を信じることができる

絵本「おいしいありがとう」(フレーベル館)

絵本「おいしいありがとう」
(フレーベル館)

中西 仁科さんの絵本はたくさんの国で翻訳されていますね。

仁科 現在は中国、台湾、韓国、スペインで訳されています。台湾、韓国は児童教育に熱心で感心しました。その点、日本の若いお母さんは成熟していない人が多いようですね。お母さんの心が平安でピースであれば、子どもはもう何もしなくても純粋無垢で幸せでいられるのにね。

中西 お母さんが幸せでいるためには、お父さんと仲良くしていることですし、そうなるためには、その上のおじいさんおばあさん世代が幸せでなければならない。連綿と続いていくんですね。ですから、どこかで歯止めをかけてそこからハッピーな世界をつくっていくことになると思うのです。

仁科 今の子どもたちに顕著に表れているのは愛情不足であることですね。私の場合は、本当に愛情深い環境で育てられたんです。お母さんはお母さんらしい愛、お父さんはお父さんらしい愛で。学校から帰ってくると、いつも家の外まで母の笑い声が聞こえ部屋中に料理のにおいが漂っているような家でした。母は近所の子どもにもお年玉をあげるような人でした。あるとき、学校から帰ると縁側で縫い物をしていたのですが、「幸子は今どうしているかなと考えていて、お母さんはとても幸せだった」というような母でした。

あるときは、ブドウ売りのおじいさんが自転車を倒してしまって、ブドウが散乱して売り物にならなくなってしまった。そのブドウを母は全部買い取ってあげたのです。「どうして?」と言う私に「おじいさんが家に帰ってお嫁さんにしかられなくてすむでしょう」と。母はまわりの人すべてにそうでしたから、私も人を疑わないで信じることができるのです。

 

足もとの小さなことを大切に

中西 幸せな家庭だったから人を信じることができるのですね。

仁科 自分を不幸だという人を見ていると生活の中で大切にしている順番が違っているように見えます。ご先祖供養、神様への参拝はまず人が一番にすることで、それがあって自分だと思うのです。すると心にゆとりが生まれ、思いやりも湧いてきます。だから天に生かされているということがちゃんと腑に落ちていて毎日を生きていれば、誰でもが今よりもよくなり、幸せになれると思うのです。社会的には毎日大変なことが起きていて、絵本作家としての自分の力がいったいどれほど人の役に立っているのだろうとか思うと、あまりの自分の無力さに嘆息するのですが、「そこのポジションで生きなさい」とお役目を与えられたのだから、精一杯ここでがんばるしかないなと思っています。

中西 それでいいのだと思いますよ。人それぞれのポジションでそれぞれが幸せを感じていたら世の中全体が幸せになっていくわけで、大きな業績を挙げた人を「功を成し遂げた人」というのはウソですね。みんな足もとの小さなことを大切にしてやってきたんだと思うんです。マザー・テレサはあれだけ有名になったけど、世界中を回ったのはほんの一瞬で、彼女のやったことは結局カルカッタの貧民街で貧しい人と向き合って生涯を閉じたわけですから。だから仁科さんがそういう思いを絵本に込めて、すべての存在が想像力豊かに、幸せに、自由に楽しく生きられますように…と絵本で発信し、それがどんどん翻訳されて世界中に出る。それは結局あなたの夢だけれど、同時にそれは私たち人類全員の夢でもあるわけですから、それは絶対お互いに響き合いますよ。人生で出会える人はほんのわずか。だから出会った人一人ひとりが幸せになっていく姿を見てみんな仕事を続けられるんですね。

仁科 ケビンがおっしゃったようにたしかに小さなことなのですが、仕事を辞め山梨県の大月に戻ったときに、そこに児童文学で書かれているような生活があったんです。夕ご飯のおかずをお隣に持っていったり、私が東京に出たときのおみやげを持っていくとあちこちで「おつけもの持っていきなさい」とか、持っていったものよりもたくさんのものを貰ってくる。だから「こんなに貰っちゃった」と、いつもルンルン気分で笑いながら帰ってくるんです(笑)。

中西 あなたの生活そのものが童話の世界なのですね。

仁科 私の村はそんな感じですね。三世代の家庭が多く、村には長老会議があったりして。伝説も多く、たびたび火災を防いでくれるお地蔵さんがいたり、白い耳を持つ龍が出てくる石が家を守ってくれたり、。私の家の屋根からUFOがたくさん飛び立っていったのを見たとか…(笑)。今、村に残さなければならないことを父たち70、80代の人たちがやっておかないと後のものが受け継げないんですね。

中西 それはすごいことですね。日本は今、どこも「根無し草」の集まりで、私の住んでいるところもそうですよ。自分の住んでいる町を生かして、その町と共に生きていくという感性はもう残っていませんね。

仁科 私は今、「鎮守の森の復権」という活動をファンタジーを通して考えています。昔はどこの村にも鎮守の森があって、大きな杉の木があって、子どもはそこへ行くと恐れ多い畏敬の念も抱きつつ楽しくもあったじゃないですか。それは私の中にもあって、やっぱりそこで自然とか、目に見えないものへの尊厳が生まれたと思うのですよ。人間が一番じゃないと…。
中西 人間が傲慢になってしまったから自然破壊も進んでしまったんですね。やりましょうよ。子どもたちに豊かな感性と豊かな想像力を復活させられるようなサークル活動的なものを…。

 

自由で想像力豊かな授業で子どもたちは生き生きと…

パップンピットの人形

パップンピットの人形
パップンピットは種や植物を助ける森の妖精。2009年、CS、キッズステーションでTV放映。コロンビアよりDVD発売予定。

仁科 最近、70人の子どもとワークをやって面白かったのは、全員に木の枝を配って、まず目を閉じてさわらせたのです。「この木はどんな木? どんな性格で、何を話した?」「どんな葉っぱでどんな花が咲くのかしら? 木は太かった?」と聞くと、子どもたちは一気に瞑想に入ってしまうのです。想像した木を描いて詩を作らせたらすごいものができたのです。自然崇拝というか、そういう感覚は日本人の特性で、欧米人には真似のできないものがありますね。先生方もこんな生き生きとした子どもたちを見たことがないと驚かれていました。今の教育システムの中では決められたものが多くて、とてもこんなに自由な授業はできないらしいのです。

中西 とても無理。そんなことしたら先生がクビになってしまいますね。

絵本パップンピットのお話

絵本パップンピットのお話

仁科 ある授業で、子どもにカエル、カタツムリ、ナメクジになってもらって「どんなところにいて、雨の音はどんなだった」と聞いてみました。雨の音も石の上と葉っぱの上に落ちるのとでは違うでしょう。普通は「ザーザー」とか「ポツポツ」ですが、ある子が「スースー」と言うのです。その子は、両親がいなくて祖父母と暮らしていて「スースー」という音は、「雨の日に感じる空気の音」だったのです。淋しかったのですね。でもその感性をすごく褒めたのです。するとその子はキラキラと輝いてきて私の授業を楽しかったと言ってくれて積極的に寄ってくるようにもなり、褒めることはとても大事ことなんだと思いました。私のもう一つやりたいことは、私たち地球が一つの生命体として生きている星ならば、その地球の心に届くように、子どもたちで「モミの木さん、ありがとう」と自然と地球に感謝する詩を作り村をねり歩き、地球に感謝の気持ちを届けることです。

中西 そのような授業が教育現場にあったらいいなと思いますね。そういう時代が近いうちに来るのではないかと確信しています。今日はありがとうございました。

 

これが仁科さんの芸術の秘密!?

仁科さんが写真を撮ると、さまざまな奇跡的映像が写ります。まさにミラクルワールド! その一部をご紹介します!

スコットランド、ストロムネスのホテルの窓から朝の5時くらいに撮影した、天使の実体。

スコットランド、ストロムネスのホテルの窓から朝の5時くらいに撮影した、天使の実体。

千さんからのコメント
写真の左上に一対のモーメリンという、道案内の天使(天使の実体)が来てくれている。普通、天使は中性なのだがモーメリンは男性、女性が対になっている。
全部で18対の天使たちがいて、周りで踊って動いているので形が見えない。大天使ミカエルと同調しているので、紫色の光が下のほうに出ています。

千さんとは?
チャネラー、セラピスト。幼少の頃より、見えない世界とのコンタクトやUFO目撃などの体験を多くもつ。1995年、退行催眠中にみたビジョンに導かれて、奈良県の天河神社を訪れたときに、白いお髭の仙人のような存在とコンタクトが始まり、現在は5人のマスターたちとつながっている。

富士山の麓に現れた観音様。

富士山の麓に現れた観音様。

●8月の終わりに富士山の麓、明日見という場所の大神さんという神社の下にある、龍神様の奉られている2万本の蓮のある蓮池にて蓮の葉っぱを撮影したところ、小雨が降っていたのに写真のように、葉っぱに宿っていた10センチくらいの水が光になって写りました。

千さんからのコメント
滴が光になった向こうから、実は京都の嵐山にいらっしゃる観音様が鏡を覗くようにこちらを覗いていらっしゃる。宝珠型の水晶を持って自分のところに来るようにとおっしゃっていますよ。
どの観音様かは嵐山に行ってタクシーに乗ると、自然に連れていってくれます。

 

●それで私は結局、京都は嵐山の天龍寺というお寺に行きました。その境内にある宝厳院の観音様にお詣りしました。すると、夜レストランで銀色の袋の上に水晶を置いて写真を撮ったところ、自分がその観音様だと教えるようにそこにはない金色と水晶の右側に白いハートの形が現れて写りました。

●そして家に帰り、パソコンから観音様の写真をプリントし、その前に水晶を置いて写真を撮ると、観音様が金色にくらいはずのバックも、ターコイズブルーに写り、水晶の中に顔らしきものも現れました。

千さんからのコメント
この水晶に現れているお顔は、仁科さんの新たな芸術による生まれ出る存在で、この観音様と仁科さんを繋いでいるのが、鳳凰ですよ。

京都の天龍寺の側の野宮神社の側の線路を渡った時の写真。

千さんからのコメント
この写真に写っている光は、異次元からの光です。ライトワーカーが二人重なって写っています。仁科さんに伝えたいことがあるようです。昔からライトワーカーは地球に来ていましたが、やっと今、ライトワーカーがこうして写れる、写せる人などの状況が整ってきたということです。

 

「いやしの村だより」2009年1月号掲載

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