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龍村仁氏×中西研二『「撮らせていただいた」大自然を前に生まれる素直な感情』

人々に衝撃を与えた「地球交響曲〜ガイアシンフォニー」の第一番から早18年。今回待望の最新作、第七番が完成しました。監督自身は自然体に「その時出し尽くせるものを出し切っているから、毎回次回作のことなんか考えずにやってきました」と笑顔で語られました。作品全体を貫く大自然と人間の複雑で見事な営みは、監督自らの自然観と人間に対する深い愛情からだということが分かりました。

「撮らせていただいた」大自然を前に生まれる素直な感情

龍村仁氏×中西研二

龍村仁(たつむら・じん)●1940年:兵庫県宝塚市生まれ 。1963年:京都大学文学部美学科卒業後、NHK入局。74年:ATG映画『キャロル』を制作・監督したのをきっかけにNHKを退社。インディペンデント・ディレクターとしてドキュメンタリー、ドラマ、コマーシャルなど、数多くの作品を手がける。 1992年から2010年までドキュメンタリー映画『地球交響曲』第一番から第七番までを公開。同シリーズは、全国規模の活発な自主上映によって、のべ230万人にのぼる観客を動員、その数は今なおとどまることなく、かつてないロングランヒット作となっている。1976年『シルクロード幻視行』でギャラクシー賞受賞など多数作品を受賞。著書に『地球(ガイア)のささやき』『地球交響曲(ガイアシンフォニー)第三番 魂の旅』(共に角川ソフィア文庫)、『地球(ガイア)の祈り』(角川学芸出版)など多数。http://gaiasymphony.com

中西研二(なかにし・けんじ)●1948年東京生まれ。NPO法人『JOYヒーリングの会』理事長。有限会社いやしの村東京代表取締役。ヒーラー。ワンネストレーナー。新聞記者、セールスマンなどさまざまな職業を遍歴の後、1993年に夢の中でヒーリングを伝授され、以来17年間で20万人を超える人々を癒し続けている。また、2004年9月にワンネスユニバーシティでワンネスディクシャという手法を学び、以来、この手法を通して、多くの人々がワンネスの体験を得る手助けをしている。著書に『そのまんまでオッケー!』『悟りってなあに?』『あなたはわたし わたしはあなた』(共にVOICE刊)がある。

感動の共有の中で人がつながっていく

中西 龍村さんにお会いできることで、今日は遠足に来たようなわくわくする気持ちできました(笑)。現在第七番が上映中ですが、私は92年に公開された一番からずっとファンで。とにかく衝撃的な映画でした。20年近くの歳月を同じパワーで作り上げていくエネルギーもすごいですね。

龍村 そう言っていただくと本当にうれしいですね。昨日、千葉の自主上映に行きましたがお客さんが千人を超えてて本当に感動しました。この映画は、ガイアネットワークという同じように共鳴してくれる方々の自発的活動により映画の上映が広まっていっていますので…。

中西 出演者の方々を見ても毎回その時代にマッチしていながら、全体として一貫しているものがあるんですね。

龍村 よく言われますよ。20年近く、7本も同じテーマを繰り返してと。ただ変わったものがあると言えば地球そのもの、時代そのものが一個所に留まらず変化し続けて、それがこの映画に素直に出ているのかなと思うんです。

撮影するにあたって一番重要に感じていることは、出演者にいかに楽しんで喜んでもらえるかということですね。それが最大の鍵になります。それには取材中にこちらが話を理解し感動することです。それによって出演者は感動を分かち合っているという喜びが表情に表れてくるんです。話しているとどんどん素敵な顔になっていくんです。観客の方々はその表情をストレートに見ることになり、「難しい話をしているけど素敵な人だな」と感じる。その瞬間に観客は出演者の話を受け入れる回路が開いてきて感動を共有できる。感動を分かち合う中で、人と人がつながっていく。そのことがこの映画作りにとても重要なのです。

 

瞬間瞬間の出会いの中で新たな発見が…

中西 監督の撮った作品は大自然の営みが見事に描かれていて、自然に対する畏敬の念というものがすごく感じられるんですね。自然の一瞬、一瞬をあんなに見事に表すのは撮るのも大変だったと思いますが。

龍村 最初に撮りたいイメージはありますが、お金が潤沢にあるわけではないのでなかなか難しいです(笑)。思い通りにいかないというのは第三番に撮影したマッキンレー(アラスカにある北米最高峰の山)がいい例なんです。写真家の星野道夫氏とともに撮影する予定だったのですが、直前に彼は亡くなってしまった。そこで彼の歩いてきた道を我々がたどっていったわけです。当然、彼が見たようにオーロラとマッキンレーを…というのを撮りたいじゃないですか。ところが撮影期間の半分を過ぎても曇り続きで、マッキンレーの「マ」の字も見えない! もう明日にはチャーター機が迎えに来てしまうので焦るんですが、マッキンレーとオーロラ以外に案がなかったんですね。それでついてないな…とか、もうちょっとお金があれば…、などと誰かのせいにしたくなったりね。だけど、本当はやっぱり僕は大自然の持っている言葉にできない大いなる仕組みの美しさ、それと「生かされている」という直感的に体感できる繋がりを撮りたいからそこに立っているわけで、彼だってきっとそれを撮っていたに違いないんです。別にマッキンレーとオーロラがそれを表すすべてではなくて、本来新宿の雑踏にもそれはあるんですよ。

そこで問われるのが自分の目の向けどころなんです。ふと見たら白い雪の間に黒い岩がボンとでているんですよ。その上に雪が降っているんです。アラスカのマイナス20度を超えた雪の結晶って大きくてカチッとしてて美しいんですよ。それが岩の上に落ちていって、見ているとスーッと消えていくんです。そこに目がいった。マッキンレーにオーロラと、黒い岩の上に落ちていった一粒の雪の結晶が溶けていく風景。どちらがすごいかって言ったら、どちらもすごいことなんですよ。で、カメラマンと一緒になってカメラを回し続けた。そしたらその夜、嘘のように晴れてオーロラも見れて、たまたま通りかかった彗星も一緒に撮れてね。最終的には誰が観ても感動するような自然界の一瞬の表情を撮れた。そういう時に感じる思いは「撮らせていただいてありがとうございます」という感謝の気持ち、ただそれだけですね。

だから今回の場合もそうですけど、80時間の素材がそろうまで構想を考えて撮っているわけではないんです。それまでの固定概念からむしろ自由な状態にして瞬間、瞬間の出会いの中で新たな発見をするというような位置で仕事をしています。

 

精一杯旅をしていれば、目的地は水平線の彼方に

中西 なるほど。このガイアシンフォニーは七番まで迎えましたが、こんな長い期間続けられるのも、今おっしゃったように瞬間、瞬間の出会いを大切にしてきたからかもしれませんね。

すばらしいお話しをありがとうございました!

すばらしいお話しをありがとうございました!

龍村 先のことを何も考えられないタイプなもんで(笑)。だからここまで続けてこれたのかもしれませんね。自分には設計図はないけれどビジョンはあるんですよ。ビジョンに向かって旅に出るというのはすごくわくわくするんです。でもいざ旅に出て一歩、二歩と歩き出すと、どの道がそのビジョンに続く道かわからなくなっちゃう(笑)。瞬間、瞬間を悔いのないように精一杯旅していたらおのずと目的地が地平線の彼方に見えてくるという感じですかね。ビジョンはマッキンレーとオーロラだったけど旅しているうちに全然違う島に着いたような…。その時に「ああ失敗だった」と思うかどうかによってまた違いますけどね。

結局、皆さんおっしゃるように心の持ちようですよね。ひょっとすると人間の素晴らしいところは、悲しみとか苦しみとかネガティブに見える事柄が実は大きな進化や発展を可能にしているところではないでしょうか。考えてみると自我という人間らしい心がネガティブなものを作っているとすると、その底には人間の心というものがベースにあるわけだから、心を変換することによってプラス側に変えることもできるわけですよね。それは人間にしかできない営みといえるかもしれませんね。

 

年を取ると敏感になる、感じるセンサー

中西 映画を作るに当たって、編集作業というのが非常に重要になってくると思うんですが、監督の編集もそういった感覚を大事にされているわけですか?

龍村 年を取ると肉体的能力は衰えてくるけど、その分センサーが非常に発達してくるんです。今まで入れてきた知識とかそういうものをどんどん捨てていきます。入れて、捨ててを繰り返すうちに空っぽになるかといえばそうじゃないんですね。いろいろな経験をして通り過ぎていった時に感じた感動がピッと開くんです。その内側のものを感じ取るセンサーが多様になり、敏感になってくるんです。そのセンサーが編集作業の時にすごく役に立ちます。自然界の持っている目に見えないものをグッととらえて人の心に伝えるには、風景や音楽や文字や間を同時多発的にクリエーションするのですが、それが分かるのが早くなります。本当にゼロコンマ何秒の間でも「違う!」ってわかります。年寄りが持っているすごさというのはこういう経験から生まれたセンサーのひだの多さだと思いますね。

 

「生かされている」という感覚の復活

中西 今回の七番でも、そういう人間の持っている生命の強さというかすごさというのが表れていますよね。

龍村 今回出演のアンドルー・ワイル氏は統合医療の第一人者ですが、彼は、人間は内なる自然治癒力が活性化されたとき、本来危機的状況でもダメージを最小限に抑えることのできる仕組みを持っていると言うのです。抗生物質というのはウイルスを殺してくれるけど、ウイルスのような単純な生命体は、生き延びるために生命システムを変異し、耐性菌に生まれ変わる。結局堂々巡りになります。ですから薬が病気を治すという考えではなく、本当に自分を治すのは自らの免疫力を活性化させることなんです。例えば熱が出たとき、投与される化学製薬の中には、熱を下げる成分しか入ってないんです。非常にシンプルな分子構造で一方通行的に熱を下げることのみに効く。しかし生薬はもっと複雑な構造をしていて熱を下げる成分と同時に上げる成分も入っているわけです。それを投薬された人間は、自分が今何を必要としているかを選択して、熱があった場合はそれを下げる成分だけを吸収するという仕組みなんです。一見患者というのは受ける側に見えるけど、実は選択しているのです。自分にとって何が必要かというのを。そして最終的には自己免疫力で病気を治すというのが本来の仕組みなんですよね。私が、今回一番言いたかったことはそういうことなんです。

地球の38億年の歴史の中で、人間はこれだけの複雑な構造を持つ生命体として存在している。だけどこの仕組みは地球に存在する動物、植物、鉱物、風、水…すべてを含めた生命システムのほんの一部に過ぎません。その一部として生かされているわけです。バランスが崩れたときに取り戻す自然治癒力が本来備わっているという感覚を体感で呼び戻して、自分がいかにすごい存在かということを感じてもらいたいですね。だけどなかなか簡単にそう思えないよね? 就職できなかったり、家に帰ったら奥さんとぐちゃぐちゃだったり…(笑)。でもこのガイアシンフォニーがもし何かの働きをさせていただくとすれば、ふとした一瞬に「ああそうか」と、「生かされている」という感覚の回路が、センサーとして開いてくれればと思います。困難な時代のちょっとした元気の元になってもらえればいいのですが…。

中西 この生きにくい世の中に、実にシンプルで深い提言ですよね。今日はお忙しい中、本当にありがとうございました。

「いやしの村だより」2010年10月号掲載

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