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緊急座談会〜被災地を訪ねて〜「あんな大津波のあとでどうしてこんなに幸せなの?」

3月11日に東日本を襲った巨大地震のあと、迫りくる大津波から危機一髪で逃れたJOYヒーリングの会の皆さんにお集まりいただき、まだ生々しい災害の爪跡が残る被災地で、貴重な体験をお聞きしました。
会場は爆笑、爆笑、爆笑の渦???─この明るさはいったい何?
「被災後の不自由さがあっても、みんなで生きていれば幸せです」という会員さんの言葉が耳に残ります。
写真/右上:「仙台・和ッハホールにて」、左下:「陸前高田・大和田さん宅にて」、右下「大船渡・オープンハウスいやしの村にて」

「あんな大津波のあとでどうしてこんなに幸せなの?」


中西 この震災で、みなさんは想像を超える体験をされましたが、その瞬間はどんなだったのですか? 奇跡的な体験もされたのでしょうか?

ヘルパーとして、まずお年寄りの安全を

今野智子さん

今野智子さん
岩手県大船渡市在住

今野 私はヘルパーの仕事をしているので、とっさに頭をよぎったことは「お年寄りを安全な場所に」ということでした。すぐにその日予定していた訪問介護の方のところへ車を走らせ高台に避難させ、それからもうひとりのところに向かいました。

オープンハウスいやしの村のお話会終了後、お互いの無事を喜び合う
オープンハウスいやしの村のお話会終了後、お互いの無事を喜び合う

「位牌を持ち出したい」とか「貴重品のバッグを…」と言われ、救助するのはたいへんでしたが、もう津波が迫っていましたから、最後は車に押し込むようにして避難していただいたんです。

その晩は主人からも息子からも連絡がなく、アンマとバガヴァンにひたすら2人の無事をお願いしました。主人の勤務地の気仙沼は火災が発生していて、もうダメかもしれないとあきらめていたのですが、翌日2人とも元気に帰ってきたので、ただただ感謝でした。

津波は家から50メートル手前で止まり、家の外壁は崩れ落ちましたが、でも屋根はちゃんとありました(笑)。屋根があって布団があればそれだけでもう十分。家族3人無事であったことを感謝するだけです。

 

身代わりに(?)ケビンのお皿が割れただけ

金野すみ子さん

金野すみ子さん
岩手県大船渡市在住

金野 地震のとき小学校で学童保育をしていました。先生方の「逃げろ!」という叫び声で、着の身着のまま学童16人と指導員3人で避難所のある高台に駆け上ったんです。そこは海際の小高い丘で、津波が押し寄せたときは360度が海になり、水が引いたら一面が瓦礫の山になっていました。

そこで一晩を過ごしたのですが、2人の息子の安否が気がかりで、バガヴァンに「絶対に助けてね。それじゃなきゃ許さないからね!」とずっと暗闇の中でお願いしていました。

朝になると、いとこが自分の子どもを探しに避難所に顔を出したんです。「バガヴァンが私を助けるためによこしてくれた」と思いました。いとこのお陰で家に帰ることができ、2人の息子は心配して待っていてくれました。

その日、息子は3時勤務から2時勤務に変更になっていて、津波に巻き込まれずにすみました。家は地震で壊れることはなかったのですが、玄関に飾っておいたケビンの「ありがとう」のお皿が落ちて割れていました(笑)。でもいろいろ助けてもらったので、お皿はがまんするか〜って(笑)。

中西 私が犠牲になったんですね(笑)。

 

津波の予感がピーンときて、渋滞から抜ける

須藤純子さん

須藤純子さん
宮城県気仙沼市在住

須藤 私はある会合で大川の隣りにある建物にいました。川の際で津波の心配もあったのですが、その時はまだ怖さを感じていなかったんです。でもとにかく車を連ねてみんな帰ることにしました。

いちばん手前の橋を渡っているときに第一波がきて、「わ〜!津波きてるよ!」と言いながらも、まだこのときもすごい津波がくるとは思っていなかった。

でも橋を下ったあたりで渋滞に巻き込まれた時、なぜかピーンときたのです。「ここを抜けなければ」と。それでハンドルを切って渋滞から離れたのです。

そこにあの大津波がきて、私の前後を走っていた仲間はみんな津波に飲み込まれたと思います。私はディヴァインに助けられたのです。でも私だけ助かって…、そう思うとみんなに悪くてしかたがありません。これからは家族の団らんを大切にして、新しい道を切り開いていこうと思います。

 

バガヴァンの写真があった2階だけ無事!?

佐々木貴利子さん

佐々木貴利子さん
岩手県大船渡市在住

佐々木 地震の怖さがわかっていなかった私は、大きな揺れのあと車を移動させたり、金庫の鍵を取りに行ったりとまごまごしていました。

「津波がくるぞ!」と叫び声が聞こえ、見るとすぐ近くまで白波を立てて津波が迫ってきていたのです。初めて見る光景に頭の中が真っ白になり、普段訓練していないのでどこに逃げていいのかわからない。一瞬パニックになり、ふと見ると目の前に急な坂道が見えたのでとにかく駆け上がりました。

次の瞬間、津波が足下までダーッときて、振り返ると建物も車も渦を巻いて押し寄せているのです。そこに一人取り残され、心細くなり思わず「バガヴァン、助けて!」と叫んでいました。自宅は1階が天井まで水につかりましたが、バガヴァンの写真が飾ってある2階は不思議なことにまったく被害がなく、衣類も寝具も使える状態で残されていました。

また、たくさんの知人も亡くなっている中で主人は無事でしたし、実家で母の寝ている後ろに太い柱のようなものが立っているのを見て、「アンマとバガヴァンが家を守ってくれた」と。数々の奇跡を与えてもらって、ディクシャのお陰と感謝しています。

疲れている人にディクシャやヒーリングをさせていただく機会も多くなり、「生かされている」と思う人も増えてきて、徐々にヒーリングの輪も広がっています。

 

ディクシャのお陰。町の破壊を冷静に見る自分

佐々木博子さん

佐々木博子さん
岩手県大船渡市在住

佐々木 十数年祖父母が経営してきた旅館を引き継いでやっていたのですが、地震が起きたのが、お客さんのいない時間帯で本当に良かったと感謝しています。

それに家族はみな大船渡にはいないとわかっていたので心配ないし、自分の身のことだけを考えればいいのだと、まずスタッフ3人を先に帰し、普段から考えていた近くの立体駐車場へ避難しました。そこで津波が町を破壊していく様子、自分の旅館が流されていく様子をつぶさに、そして冷静に見ている自分を観察していました。

今までケビンやバガヴァンの話をずっと聞いてきたからこんなふうに冷静にしていられたのですね。

その後、娘の就職の内定取り消しがあり、また息子は絶対合格と言われていた大学受験を不合格にされ、実は家庭内が大津波に襲われていたんです(笑)。普段だったら一大事な出来事ばかりなんですが、でも家が流されたことと比べたら…。

あの地震の日は息子の第2志望の受験の日で、父は孫を車に乗せて盛岡まで送ってくれました。大船渡にいたらたぶん津波に巻き込まれていたでしょうね。お陰様で家族全員助けられました。

その後、娘は、内定取り消しの取り消しがありました(笑)。どこかで守られているという意識はいつもあり、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

すべてを流されて。でもなぜか「ありがたい〜」

伊藤裕子さん

伊藤裕子さん
岩手県下閉伊郡山田町在住

伊藤 職場は海水浴場の近くで、津波の恐怖はいつも感じていましたが、あの日の地震は体験したことのないような揺れで、「もうダメだ!」と車に飛び乗って両親の元に急ぎました。ところが国道は大渋滞。とっさに高台を迂回するようにして辿り着きました。両親は体が不自由で自力では避難できません。二人を乗せて家の近くの川沿いに逃げたのですが、川はすでに水が溢れそうで、たくさんの人が歩いて逃げていました。混雑をすり抜け、やっと避難先の公民館に逃げ込んだときにはすでに町は壊滅状態。津波は水煙りを上げてすべてのものを押し流していきました。

その後、母は病院で大動脈瘤破裂で亡くなりました。でもこのような状況の中でベッドの上で亡くなることができたことがせめてもの慰めです。

避難先の主人の実家には、義弟が一人で住んでいるのですが、今回、娘の無事を確認に行ってくれたり、物資を調達してくれました。主人は報道関係の仕事で家に一回帰ったきりでしたから義弟にはずいぶん助けられ、仲良くできるようになったことがなによりうれしいです。

JOYヒーリングの会の方からたくさんの安否確認のメールをいただきました。自宅も実家も姉の家も流されてしまい、また母、おば、義妹も失いましたが、助けられたことも多く、本当に守られているなと感謝し「ありがたい、ありがたい」と毎日を過ごしています。

 

震災後、なんだかずっと幸せなんです!

清水敦子さん

清水敦子さん
岩手県大船渡市在住

清水 私は長男の嫁なのに義母と折り合いが悪く、ずっと別々に暮らしていました。ですが、義父は去年の12月から要介護5認定の寝たきり状態でしたから、地震のとき迷うことなく義父母のところに向かったのです。

大和田家でのディクシャ会
大和田家でのディクシャ会

夫は海の近くで整備士をしていますが、その日はたまたま休んでいてすぐ実家にやってきました。じいちゃんの病気のお陰で地震の当日に家族が会えたのです。

狭いところですが病気のじいちゃんを囲んで、灯油の残りを心配しながらも暖かく過ごせたし、1膳半のごはんをおじやにして4人で食べました。

娘や息子の安否も考えないことはなかったのですが、まず、じいちゃんの介護用おむつと車のガソリンの確保のために一日中行列に並びました。ガソリンの列に並んでいるときに、前に並んでいる人が帽子を落としたので拾って手渡したのですが、帽子にIBC(岩手放送)と書いてあるのを見て、とっさに自分の名前と今いるところを書いて手渡しました。すると、翌日の夜中にラジオで流れて、家族全員の安否が確認できたのです。本当に助けられ守られていると、この大震災のお陰で気づかされました。震災後、なんだかずっと幸せなんです(笑)。

昨日は部落の人から支援物資をいただいて涙が止まりませんでした。今日もJOYヒーリングの会からこんなにたくさんいただいて、「いい、いい」と言いながら、やっぱりいただきます!(笑)。ありがとうございます。

 

避難所に歯ブラシを配った謎の歯医者は私です

大和田剛史さん

大和田剛史さん
岩手県陸前高田市在住

中西 剛史さんは歯科医師をやっていらっしゃるんでしょ?

大和田 地震のとき患者さんが6人ぐらいいたんですが、治療をストップしてすぐに患者さんを帰し、2階の窓から津波が堤防を越えてくるのが見えたので、みんなに「高台に逃げろ」と広田小学校のある高台に駆け上がりました。たぶん私がいちばん先に駆け上がったんでしょうね(笑)。

セミナー会場だった陸前高田市の市民会館もこんな姿に破壊された
セミナー会場だった陸前高田市の市民会館もこんな姿に破壊された

高台に上がっても、もっと高いところまで津波がくるんじゃないかと20〜30メートルの高い木を探してよじ登る準備をしていたんです(笑)。上から眺めると津波は診療所まできていて、自分の車がぷかぷか浮いている。

津波が引いてから瓦礫を飛び越えて車の中にあったバッグ(お金と通帳が入っていた)とタバコ10箱を持ち出して(爆笑)、倒れた家の屋根伝いに歩いて2日後に家に帰りつきました。

中西さんの恩寵かバガヴァンの恩寵か、ここは電気も通り自家水道もあり、お湯も出て、こんなに普通の生活をしていていいのかなと思っています。離れている娘たちも私たちの安否を気遣ってくれて、自分は大丈夫なんだけど…、うれしいですね。

中西 避難所に歯ブラシを配って歩いた謎の歯医者さんは、先生だったんでしょう?

大和田 診療所にあったものを持って行ったら、被災者が「ありがたかった」とテレビカメラに向かって言ったのが放送されて…。

中西 被災者が「どちら様ですか?」と聞いたら「名乗るほどのものではありません」と言ったとか…(爆笑)。

 

先人の教えどおりの津波を前にただ笑うしかない

佐藤美佳子さん

佐藤美佳子さん
岩手県大船渡市三陸町在住

佐藤 この時期はわかめ漁の時期なので、地震発生の時間がもうすこし早かったら全員流されていたでしょうね。みんな海から上がって昼寝の時間だったから、うちの地区では一人も被災しませんでした。

海岸がV字だから津波で有名なところなんです。初めはチャポーンと押し寄せて、「あっ! 津波だ」と思っていたらそれが何度かきて。波が防波堤を越えたら一気に水が引いて海が空っぽになって、次の瞬間、真っ黒な波が持ち上がって押し寄せてきました。波が持ち上がるということを初めて知りました。波の高さが半端じゃない。映画『日本沈没』を見ているようでゾッとしました。でも一応ディクシャも受けているし、お金を掛けているんだから助けてもらわなきゃ困るよな〜(爆笑)と。

昔からこの地区は波の高さもいちばん高く、たくさんの人が流されていると聞いています。私の家は海抜38メートルのところにあるし、つねにみんながそういう意識を持っているんです。町全体が「津波、津波」で、中学生は劇までやらされて…。私たちは日頃の訓練がすごいんですよ。

やっぱり先人たちが犠牲になってきたからしょうね。私たちはじいさん、ばあさんと暮らしていていろいろ聞かされてきて「そんなことあるわけない!」と思ってきましたけど、地震の直後から、海の方からパーン、パーンという空砲のような音がしたんです。「沖がパーンと鳴ってピカーッと光ったら津波がくるから上さ上がれ」という先人たちの教えがあるんです。本当に昔から言われていたとおりの恐ろしい波だった。これはいい教訓になりました。

震災後、うちのじいさんは「サンデー(ホームセンター)が流された」とずっと残念がっているので何かと思ったら、前金で肥料を買ったというんです。それで思い出したんです。震災ちょっと前に「肥料が届いたから取りにくるように」と連絡を受けていて、すっかり伝えるのを忘れていて…。「美佳子のお陰で助かった」と。これは絶対、恩寵ですよ(爆笑)。

 

これからは、「もう楽しむしかない!」

小梁川愛子さん

小梁川愛子さん
宮城県仙台市太白区在住

小梁川 あのときは玄関ドアは鍵を掛けていたのに飛んでくるし、家具を押さえているのがやっと! でも家が残ったので、親族10人が避難してきています。

中西 女川は村全体がなくなって、親族の方がたった一人助かったんですって? うれしいような寂しいような複雑な気持ちでしょうね。

小梁川 はい。半島の集落は全部なくなったんです。おじは25〜30メートルの高台に住んでいるんですが、津波は手を伸ばせば届くのではないかというところまできたようです。でもこうして久しぶりに親族と一緒に暮らすことになって、改めてこういう大家族っていいなと…。一緒にいると心強いんですね。みんなも絆が強くなったと思っているんです。

中西 どなたか金庫が戻ってきたとか…。

小梁川 津波のくる前、姉は金庫を取りに戻ったのですが玄関のドアが開かずに引き返したのです。その後、親戚の人が金庫を見つけて戻ってきたのですが、「玄関が開いていたら絶対津波にやられていたよね」と。

中西 復興にはしばらく時間がかかりそうですが、みなさん、ぜひ楽しんで…。

小梁川 82歳のおじも「もう楽しむしかない!」って(笑)。

 

明るい大集団になって、地域の人々のために…

中西 みんな楽しんでやったら復興も早いでしょうね。JOYヒーリングの会の人たちには、そういう人が多いんですね。こんなに明るい被災者がいるところ、ほかにはないもの。みんなが助け合っているところがすごいことなんですよ。私のところには、町の治安が乱れて犯罪が多発しているという悲しい情報もたくさん入ってきています。みんなで明るく自制していけばいいんですが、結局、すべては内側の恐怖心がそういう行動に走らせるのですね。

でもこういうときこそ自分の内側の平安を保つということがとても大事なんですね。佐藤美佳子さんのように30メートルを超す津波を前にしてとても怖かったのに、それを笑い飛ばせる、そういうことなんですよ。自暴自棄になって悪いことをする人もいるでしょうけど、それも悲しい話ですから、みんなで責め合うとか、いじめ合うのではなく、なんとか明るい大集団になって、この地域の人々に本当の意味で明るく立ち上がってもらえることをしたらいいですね。

今日は「いやしの村」に商品を提供していただいている会社からもたくさんの支援物資を預かってきました。どうぞ、みなさんで使ってください。みなさんの明るく元気な声を聞かせていただいて、今日は本当によかった。ありがとうございました。

「いやしの村だより」2011年5月号掲載

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