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カンベンガ・マリールイズさん×中西研二「奇跡の国ルワンダと日本の架け橋として」

世界の大きな流れの中で、二度にわたる恐怖の体験をしたルイズさん。ルワンダの内戦による大量殺戮(ジェノサイド)と東日本大震災による被災という、どちらも想像を絶する体験にもかかわらず、流ちょうな日本語で穏やかに語る彼女からは、苦しさを超越した笑顔がこぼれる。アフリカの女性のおおらかでたくましい人柄で人への無償の愛を説く、ルイズさんの活動をぜひ応援してくださいね

「奇跡の国ルワンダと日本の架け橋として」

カンベンガ・マリールイズさん×中西研二

カンベンガ・マリールイズ●1965年10月、ルワンダ人の父親の赴任先であるコンゴ民主共和国(旧ザイール)に生まれる。1986年9月、キガリ市の専門学校に洋裁の教師として赴任。1993年5月、青年海外協力隊カウンターパートナー(現地協力員)として福島文化学園にて洋裁の研修を受ける。1994年2月、帰国。1994年4月、内戦勃発、必死の逃亡を経て隣国コンゴ民主共和国へ。難民キャンプで偶然出会ったアムダの日本人医師の通訳になる。1994年12月、研修生時代の友人らの尽力で家族そろって再来日。
1995年4月、桜の聖母短期大学家政科に聴講生として学ぶ。
2000年10月、「ルワンダの教育を考える会」を立ち上げ、キガリ市に学校を建設。
2001年8月、同会がNPO法人格を取得。2010年6月、同会理事長に就任。
命の尊さ、教育の大切さを訴える講演活動で全国を駆け回っている。
・NPO法人ルワンダの教育を考える会
http://www.rwanda-npo.org/

中西研二(なかにし・けんじ)●1948年東京生まれ。NPO法人『JOYヒーリングの会』理事長。有限会社いやしの村東京代表取締役。ヒーラー。ワンネストレーナー。新聞記者、セールスマンなどさまざまな職業を遍歴の後、1993年に夢の中でヒーリングを伝授され、以来18年間で20万人を超える人々を癒し続けている。また、2004年9月にワンネスユニバーシティでワンネスディクシャという手法を学び、以来、この手法を通して、多くの人々がワンネスの体験を得る手助けをしている。著書に『そのまんまでオッケー!』『悟りってなあに?』『あなたはわたし わたしはあなた』(共にVOICE刊)がある。

二つの国で生死を分ける体験を…

中西 ルイズさんは母国ルワンダの内戦と、今回は福島で地震と原発事故という二度にわたって生死を分けるほどの災難に遭われているのですね。1994年のルワンダは凄惨な民族間の紛争により、およそ100万人が犠牲になったと伝えられていますが、そのときルイズさんはどこにいたのですか。

ルイズ 私は93年3月から94年1月まで、服飾関係の海外交流研修生として福島にいました。研修を終え、ルワンダに帰国直後に首都キガリで内戦が起きました。

中西 初めて日本に来たとき、日本語は話せたのですか?

ルイズ いえ、日本に来て2カ月間は日本語の勉強に費やしました。ホームステイをしていた家族との生活の中で日本語を覚えたのです。

中西 帰国して日本語が役に立ったのですね。

ルイズ はい。内戦は激しく、私たち家族も2週間、窓のない廊下で身を隠していました。そのとき、あまりの恐怖で「どうせ死ぬなら太陽の下で」と思い切って外に出て難民キャンプに逃げ込みました。そこで日本人医師に出会い、それが縁で、その年の12月、今度は家族とともに来日しました。

中西 日本ではどんな活動をされているのですか。

ルイズ 今はルワンダに学校を作ることを目的としたNPO法人「ルワンダの教育を考える会」を立ち上げて、戦争で親を亡くしたり、貧困で生活が混乱しているルワンダの子どもたちが、教育を受けて夢に向かって進んでいけるようにと活動しています。現地ではすでに学校が建設され、運営されています。

中西 学校設立から何年になりますか。

ルイズ 11年目です。学校では、子どもたちは幼稚園の年少から小学6年生まで9年間勉強します。卒業生は150人近くになりました。

中西 教育費は無料ですか。

ルイズ 親には自分の子どもを教育しているという喜びを感じてもらいたいので、できるだけ払ってもらっています。払えない人には日本からの支援でまかなっています。

中西 小学校を卒業した子どもたちにどのような進路があるのですか。

ルイズ 今のところ国家試験を受けて国立学校へ行くか、あるいはミッションスクールに進学します。でも将来的には独自の中学、高校、大学まで作りたいと思っています。みんな「夢が大きすぎる」と笑うのですが、私は願って叶わないものはないと思っていますから。また、ルワンダの子どもたちみんなが夢を持てるように、さまざまなサポートもしています。働く場所があることによって人は心が満たされていくものですから、例えば、彼らが生活していけるように、バナナの皮で作った切り絵を買い取ってあげたり、ルワンダの産業発展につながればと、コーヒー、紅茶を仕入れて日本に持ってきています。

日本国内では、私たちの活動を通して、人が少しでも温かい気持ちになってくれればいいなと、各地で講演をしています。特に今回、震災で避難生活を余儀なくされた方々の心の痛みは、私も家を失うという同じ体験していますのでよくわかります。

昨日、久しぶりに私の活動にずっと協力してくれていた人に出会いました。双葉町のその人の実家が被災し、大家族だったのにばらばらになって避難しているというのです。実家は海沿いの家で津波にも遭いました。地震発生直後、おじいさんはおばあさんの手を引いて逃げたそうです。その時に後ろから津波に襲われ、おじいさんが片手で木につかまり、おばあさんの手もしっかり握っていたのですが、おばあさんの腕が折れ、そのまま津波の渦に飲み込まれてしまったのです。おじいさんは生き残ったのですが、握っていたおばあさんの手が離れていったその瞬間の感触を、一生忘れることはできないでしょう。

おじいさんの本当の心の痛みを、私は理解してあげることはできせん。でも家族を失うことの痛みは私にもよくわかります。私は7人兄妹で、二番目の兄が内戦に巻き込まれ、どこかへ連れていかれていまだに行方不明です。兄と過ごした日々、語り合った夢などを思い出すのですが、遺体がないので葬ってやることができません。ですから愛する人を葬ってやれない人の気持ちはよく理解できます。

 

奇跡のルワンダ誕生

中西 現在、ルワンダの社会はどうなっているのですか。

ルイズ 「奇跡のルワンダ」と言われていますが、あのルワンダが今のようなルワンダになれるとは誰も想像していませんでした。復興した理由の一つは、内戦の後、「新たな歩みをしましょう」という強い決意のもとで、国が独自の憲法を作ったことです。憲法には、誰も取り残されることのないようにという考え方を取り入れ、特に女性と障害者、それからそれまで使われる立場にいた若者も憲法を作る段階で参加し、みんなで意見を出し合い議論を重ねて自分たちの考えを盛り込んでいったのです。その結果、女性の政治参加率が30パーセント以上を達成し、ルワンダは世界一女性の国会議員が多い国になりました。

中西 どのくらいの割合なのですか。

ルイズ 国会議員の56パーセント以上です。ただ多いということだけでは意味がないので、女性議員はすごく勉強をしています。公用語が5年前から英語に変わりました。それまではほとんどフランス語でしたから、ある議員は朝8時から英語の勉強をし、9時から夕方5時まで公用、その後夜間大学へ通い、家に帰り着くのは9時ということです。女性たちのこのエネルギーはどこから湧いてくるのかと驚きます。

 

許すことで奇跡を生む

中西 その後、治安は安定しているのでしょうか。

ルイズ 被害者、加害者双方に大きな試練がありました。刑務所にいる加害者にその妻たちが食べ物を運ぶのですが、残虐な殺され方をした被害者の未亡人は、気持ちが収まらないのです。「人殺しにどうして食事を与えるのだ」と、その食べ物を奪って、捨ててしまったり…。でも、双方の女性たちには、子どもを学校にやれない、服を着せてあげられない、ご飯も食べさせてあげられないという共通の葛藤がありました。そのとき牧師さんたちが、女性たちの苦しみをなんとか解決したいと、話し合いの機会を作ったのです。女性たちも、子どもたちの幸せのために何かすることがあるのではないかと互いに近づいて、そして双方が許し合う心になれました。

中西 それは素晴らしい!

ルイズ そして、加害者の妻たちは刑務所にいる夫に「子どもの未来のために加害者も被害者も関係なく一生懸命子どもの幸せを考えているのだから、今後その幸せをこわすようなことをしたら許さない」と諭したのです。それに心を動かされた受刑者は自白をし、それが政府に届いて、自白した者は刑務所で生活するのではなく、働きながら罪を償うようにという政府の取り組みで釈放されました。

中西 それはすごい!

ルイズ それから、次の加害者を作らないようにという女性たちの願いが叶い、死刑廃止が決まりました。被害者は納得していませんが、しかし子どもたちの世代のことを考えたら「許す」ということはとても大事なことで、「許す」文化を取り戻したことが、ルワンダの大きな奇跡を生んだと、私は理解しています。

 

復興はみんなの力で

中西 ルイズさんは94年から日本に住んでいらっしゃいますが、日本の印象はどうですか。

ルイズ 日本は大好きです。私はふるさとを二つ持っていて世界一幸せだと思っています。はじめて日本に来たときに、福島県でホームステイをしましたが、その家の家族の一員として何の違和感もなく、温かく生活させていただきました。たぶん黒人と会うのは初めてだったと思いますが、一度も差別的な言葉を聞いたことはありません。今でも本当の親子、姉妹のように接してもらっています。ですから、これからの私にできることは、私が見たこの日本という国をしっかり世界に伝えていくことだと思っています。

中西 日本では震災の後、「絆」ということをとても大切にするようになりました。被災地では、確かにそれまで築き上げてきた財産を失ったかもしれません。しかし、人の温かさや絆は以前より深まって、生きていく上で何が大切なのかを身を以て気付かされたのです。だから、凄惨な体験ではありましたが、どんな体験も無駄ではないと思いました。そこが人間のすごさなのですね。

ルイズ 日本には「転んでもただでは起きない」という言葉がありますが、たとえ泥でもいいから掴んで起き上がらないと損ですよ(笑)。

福島の人が最近言っていることは「過去は変えられない」ということです。前に向かって進むしかないということです。みんなの力で、みんなの思いやりで、みんなの温かさで。それが大きな力になると思います。

中西 ルイズさんは、まるで日本人ですね(笑)。いやしの村やJOYヒーリングも、「人の優しさ」、「絆」、「仲間」を大切にするところですが、国境もなく、すべてを超越したところでいろいろ教えていただきました。これをご縁にお互いに交流を深めていきたいと思います。今日はありがとうございました。

(合掌)

「いやしの村だより」2012年2月号掲載

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