トップページ > 特集 > 対談:鮫島純子さん×中西研二「見えない世界を信じれば、すべてに感謝できるようになりますよね」

対談:鮫島純子さん×中西研二「見えない世界を信じれば、すべてに感謝できるようになりますよね」

「日々をいきいきと健やかに暮らす」人生のお手本を見せてくださる鮫島純子さん。そのルーツは日本の近代国家を形成した渋沢栄一翁。92歳を超えて講演や出版でますます多忙な日々ですが、その柔和で穏やかな語り口に、若いファンも多いとか。そんな鮫島さんの人生のコツは、魂に触れた本物の「感謝」。そこへ到達するまでにどのような道のりがあったのでしょうか。

「見えない世界を信じれば、すべてに感謝できるようになりますよね」

対談:鮫島純子さん×中西研二

鮫島純子(さめじま・すみこ)●1922年、東京生まれ。祖父は日本の資本主義の礎を築いた渋沢栄一。父は栄一の四男で実業家の渋沢正雄。女子学習院を卒業後20歳で結婚。水墨画を習い、78歳でエッセイストデビュー。愛らしいイラストを添えた著書が評判を呼ぶ。著書に『あのころ、今、これから』『毎日が、いきいき、すこやか』(以上、小学館)、『祖父、渋沢栄一に学んだこと』(文藝春秋)などがある。

中西研二(なかにし・けんじ)●1948年東京生まれ。NPO法人『JOYヒーリングの会』理事長。有限会社いやしの村東京代表取締役。ヒーラー。ワンネスメディテーター。新聞記者、セールスマンなどさまざまな職業を遍歴の後、1993年に夢の中でヒーリングを伝授され、以来20年間で20万人を超える人々を癒し続けている。また、2004年9月にワンネスユニバーシティでワンネスディクシャという手法を学び、以来、この手法を通して、多くの人々がワンネスの体験を得る手助けをしている。2012年2月には、日本人のワンネスメディテーター6名(現在は7名)のうちの一人に選ばれ、以降ますます精力的に活動している。著書に『そのまんまでオッケー!』『悟りってなあに?』『あなたはわたし わたしはあなた』(共にVOICE刊)がある。

本当の感謝を伝えたい一心で……

中西 ご著書のエッセイ集はほのぼのと温かく、日本のそれぞれの時代の風俗や習慣が描かれていて、懐かしく拝見させていただきました。

鮫島 あの本を描いた平成10年頃は、街に若者の奇抜なファッションがあふれていて、その様子を自宅療養している主人に伝えるには絵で示すのがいいのではないかと思ったのです。障子を貼った残紙が巻紙のように残っていたので描いて見せましたらたいへん面白がってくれまして、病気の主人があんなに喜んでくれるのなら……と。それからお見舞いや手土産にコピーをして差し上げるようになりました。そのうちに、NHKの取材に二度ほど応じ、それがご縁で出版や講演依頼をいただくようになりました。

中西 テレビでは感謝の心や過去世の話など、若い人は、それまで考えてもいなかったような見えない世界のことを優しい語り口で話されて、「自分のおばあちゃんにすごいこと教えてもらった」みたいな感覚で衝撃を受けたようですね。

鮫島 講演で呼ばれますと、必ず「どうしてそんなにお元気なのですか」と質問されますから、「自分の周りのことすべてに感謝しているからでしょうか」とお答えしますと、参加されたみなさんが次第に心の問題に興味をもちはじめ、今では人間や人生、過去世などスピリチュアルなことが講演のメインテーマになっています。


温かくてどこか懐かしいような鮫島さんのイラスト入りエッセイ集(すべて小学館刊)

 

中西 感謝も、ただ「ありがとう」と言っていればいいというわけではありませんね。鮫島さんのおっしゃる感謝とはどういうものでしょうか。

鮫島 ある出版社から、「どういうときに、どういう感謝をするか」というテーマで書くように依頼されました。例えば、「汝の敵を愛せよ」と聖書にもありますが、モラル的な程度では、とても敵を許す気にならないでしょう。自分の心から納得したものでなければ、敵に感謝などできません。そこに神とつながったスピリチュアルなものがあって、はじめて「霊的命は永遠」であり、「肉体は生まれ変わり、死に変わり」をしながら「愛の練習」をしているのだという自覚が生まれますでしょう。見えない波動の世界を信じることが本当に必要で、そのことを一生懸命伝えようと思っています。

中西 確かに、自分の内側でスピリチュアルなものとつながってはじめて本当の感謝が生まれるのでしょうね。

鮫島 上辺だけの社交辞令的な「感謝」では、本当に変わっていきませんからね。やっぱり魂は永遠性で、従って過去世があって、過去世で宇宙ルールに反したことをしてきた自分を相手を通して見せていただき、それを反省材料として現存中に修正し向上してゆく、というところまでいかないと、とても真の感謝などできないと思います。

 

五井先生に出会い、真理を学ぶ

中西 感謝がとても大切と思われたのには、何かきっかけがあったのですか。

鮫島 終戦当時、私は3人の子どもを抱えていました。当時は、少しでも食べ物が手に入れば、とにかく子どもたちに食べさせようと懸命でしたから、窮乏生活の中でも、3人の子どもたちは病気もせずそれなりに育ちました。しかし、精神的教育は、私に母親としての資格があるのかしらと、ふと立ち止まって考えたのです。小さなことに一喜一憂したり、よそのお子さまと比較してうらやましがったり、あれこれ無い物ねだりをしたり……。そういう心の迷いなく、不動心になれるものはないかと考え始めたのです。

子どもがまだ幼かったのですが、心の師を求めて近くのキリスト教教会に通い始めました。しかし、心の深い所でどうしても理解できないのです。そのようなときに、親戚の方に一冊の本をいただきました。中をのぞいてみますと「永遠の生命」と書いてありました。つまり、人間は、この世においては期間限定の肉体をいただいて愛の練習をし、ある期間が過ぎたら魂は波動の世界へ帰る。そして、また生まれ直して、前のやり残した愛の練習をやり直す。魂はこれの繰り返しで永遠に存在し、神のレベルに近づく努力をする──というのです。「これならわかる!」と納得し、もっと本が読みたくなりました。すぐに千葉県市川市まで本を求めに行きました。

そこでは著者の五井昌久先生がご指導されていました。多くの方がご面接を待っていましたが、みなさん無邪気な幼児のように、素直に拍手による心の波動調整を受けていらっしゃいました。一目で先生の素晴らしいお人柄が伝わってきて、すぐに「この先生の教えを受けよう」と決心しました。

大半の方は病気治しや人間関係の調整など、いわゆるご利益(りやく)を求めて先生に相談にこられるご様子ですが、私は真理を知りたくて真剣に質問しました。先生は一つ一つの質問にうれしそうに答えてくださいました。「人間とは?」、「宇宙とは?」、「科学と宗教」の関係など、私の知りたかったことをていねいに明快に答えてくださいました。おかげさまで、私は疑問のすべてを五井先生に伺い、育てていただきました。

 


「主人の父・鮫島具重は最後の第八艦隊司令長官として戦地に赴き、敗戦ですべてをオーストラリアに置いて、やせ細って帰ってきました」
「私は戦後生まれですが、日本中、食べ物がなくたいへんな時代でしたね」

 

神宮の森で太陽に感謝

中西 五井先生の教えで感謝に気づかれたのですね。精神的に落ち着かれたのですか?

鮫島 感謝することで落ち着いたのではなく、先生の教えは本物だと思って、その教えを頭に入れた上で、目の前に起きた問題について、「あっ! 応用問題がきた」という感じで受け取り、その問題にあまり悩まずに乗り越えているうちに、「あっ!やっぱり感謝だわ」という順序で気づくことができました。

中西 なるほど。人生のあらゆることは体験ですからね。良くも悪くも、体験があ、る、ことに有り難いと感謝することですね。

鮫島 毎朝、お日さまが出ていてもいなくても、「こんな大きな恵みをいただいて生かしていただいてありがとう」と太陽へ感謝の気持ちで祈っていますと、太陽の波動とだんだんチャンネルが合うようになってきました。ですから、明治神宮の森を歩いていましても、お詣りの方がいろいろな想いで願う社殿でお祈りするよりも、森の中で、太陽の波動をいただきながら感謝するのです。すると、瞬時に太陽のパワーを頂いた感覚が当たり前のように感じられるようになりました。

中西 不二阿祖山大神宮宮司の渡邉聖主さんも、そのようにおっしゃっていました。

鮫島 日本人は、自然の中の波動を感じやすい民族なのでしょうね。

神社という所はご利益をお願いするところと思っていらっしゃる方が多いようですが、「神には感謝のみ」と教えた渋沢栄一が明治神宮創建の発起人ということも影響しているのでしょうか、私は、せめて伊勢神宮や明治神宮など皇室関係の神社は、ご利益祈願というレベルの信仰対象ではなく、本当にただ感謝だけをお祈りする神社にしたいものだと思うのです。

 

資本主義の父と言われた祖父・渋沢栄一

中西 東京には憩える場所が少ないので、明治神宮の森は本当にありがたいです。

鮫島 ヒートアイランドの緩和にもなりますね。日本の林学博士第一号の本多静六博士が設計され、たいへん立派な森になりました。祖父は明治天皇をたいへんお慕い申し上げておりましたから、陛下が崩御されるとすぐにご創建を思い立ち、率先して働き始めたようです。

中西 ご著書の『祖父・渋沢栄一に学んだこと』を読ませていただきました。渋沢翁は「日本資本主義の父」と言われていますように、銀行、証券取引所、各種多様な企業500種にも及ぶ会社設立・経営に当たるなど、いわば明治維新以降の近代日本の国家形成にたいへんな功績のある方だったのですね。

鮫島 幼い頃は、ただの優しいおじいさんという認識しかなかったのですが、いろいろな方の研究書を読んでみますと、ちょっと普通の人にない人格の持ち主だったと知りました。

中西 私財もたくさんおありになったでしょうが、ずいぶん寄付をされて、社会活動や教育にも力を入れていらっしゃいましたね。改めてすごい方だと認識しました。

鮫島 経済的援助もしたようですが、祖父の人助けの方法は、その方の特性を見つけ出して、その方自身が生き生きと働けるようにすることのようです。そういう話が多く残っています。私自身もたくさんの方に助けて頂いて今日がありますが、徳もない私にまで祖父の光をたくさんいただいていると感じます。

 

「理想の死に方」のお手本を前に、ただ感謝


理想的な死に方のお手本を見せてもらったというご主人の遺影は、いつも身近なところに

中西 ご主人さまは、ご自宅で亡くなられたのですか?

鮫島 はい。私が台所で家事をしている隣室に寝て居りましたから、気配を感じ心安らかにしていられたと思います。最後は足をさすることしかできませんでしたけれど、幸せな最期だったと思います。明け方の2時頃でしたが、気がつきましたら音もなく逝きましたから、苦しむこともなく静謐(せいひつ)そのものでした。本人も死ぬのは当たり前といった様子でしたから「即身成仏」ですね。若い頃はダンディーな人でしたから、人様に死顔を見ていただきませんのも本望と思います。安らかで「理想的な死に方」のお手本を見せてもらいました。

私も肩の荷が降りたような気がいたしました。亡くなって清拭をしているときも、心が静かで、「58年の長い間、ご一緒に過ごさせていただいてありがとう」と懐かしさと感謝でいっぱいで、そういう想いでいられる心の状態に「ああ、ここまで来られたかと」喜びがあふれました。

中西 本当にすごい! これこそが究極の感謝と愛ですね。素晴らしいお話をありがとうございました。

(合掌)

 

「いやしの村だより」2015年3月号掲載

このページの先頭へ