トップページ > 特集 > 対談:須森 明氏×中西研二 みんなが幸せになる家づくりを目指して「真面目に、正直に、一生懸命働く」

対談:須森 明氏×中西研二 みんなが幸せになる家づくりを目指して「真面目に、正直に、一生懸命働く」

東日本大震災のとき、瓦礫(がれき)の中で津波に流されずにポツンポツンと残っている家が同じ会社で建てた家だったと話題になりましたが、このことは「お客さまの不幸であるため」と会社からは一切宣伝はしませんでした。「すべては人のために」をモットーに住宅建築のシステムまで構築した須森社長のお人柄は、こんなエピソードにもあらわれています。

みんなが幸せになる家づくりを目指して「真面目に、正直に、一生懸命働く」

対談:須森 明氏×中西研二

須森明(すもり・あきら)●1949年、宮城郡七ヶ浜町に生まれる。中学校在学中より住み込みで漁業の手伝いや夜間アルバイトで家計を支え、中学校卒業時、左官業見習いとして、伊藤敬治左官店に勤務。2年後正式職人となり、以降左官工事監督として3年間勤務。15歳から20歳になるまでの5年間の休日数が7日(台風のため休む)のペースで昼夜を通し猛烈に働き続ける。昭和45年(20歳)左官業として独立する。昭和49年左官組織は15組に成長。 大手ハウスメーカーを中心に、年間300棟を超える左官工事を行う。昭和50年に、左官業より住宅建築業に転業。地元分譲会社の下請から次第に大手不動産会社の建売住宅の工事を請負うようになる。昭和62年下請けをやめ、本格的な注文住宅を開始。スモリ独自工法を行うようになる。その後、体験型の住宅展示施設であるハウス・スタジアムを開館したり、言葉や文字・記号、白黒図面を頼ったわかりにくい家づくりから、わかりやすい「小学生にもわかる家づくり」に徹底するなどして地元宮城県で高いを支持を受ける。
また職人の育成にも力を入れていて独自の工法のノウハウを無償で提供したり、職人を育成する学校「山からの家造り」を建設する予定である。長年の活動が評価され、2015年に『東久邇宮文化褒賞』を受賞。

中西研二(なかにし・けんじ)●1948年東京生まれ。NPO法人『JOYヒーリングの会』理事長。有限会社いやしの村東京代表取締役。新聞記者、セールスマンなどさまざまな職業を遍歴の後、1993年に夢の中でヒーリングを伝授され、以来23年間で21万人を超える人々を癒し続けている。また、2004年9月にワンネスユニバーシティでワンネスディクシャという手法を学び、以来、この手法を通して、多くの人々がワンネスの体験を得る手助けをしている。2012年2月には、日本人のワンネスメディテーター6名(現在は8名)のうちの一人に選ばれ、以降ますます精力的に活動している。
長年のヒーリング活動が評価され、2015年に『東久邇宮記念賞』を、同年『東久邇宮文化褒賞』を受賞
著書に『そのまんまでオッケー!』『悟りってなあに?』『あなたはわたし わたしはあなた』(共にVOICE刊)がある。

パニック障害からの再スタート

中西 会員さんの中に「スモリ」で建てた家に住んでいる人がいて、何度かお邪魔しましたが、本当に快適なんですね。さらに社長のお人柄を聞いて、ぜひ一度お会いしたいと思っていました。かなり若い時に創業されたんですね?

須森 もともと左官をしていました。父を早くに亡くしていたので13歳で左官の見習いを始め、21歳で独立しました。

中西 すごい決断でしたね。その時は左官業をしていて、それから家全体に関わろうと思ったのはいくつのときですか?

須森 25歳です。だんだんクロスなどの新建材に押されて左官業一つで生業(なりわい)をたてるのが苦しくなってきたのです。それでたまたま弟が大工をしていたので、左官をしながら建築のことを始めました。

中西 その当時、すでに理想の家というものはあったのですか?

須森 明確に理想の家があったわけではないのですが、左官をしていたので家というと蔵(くら)になるんです。だから蔵の持ち味を生かした住まいの家づくりができないかというイメージはありました。

中西 蔵というと湿気もなく耐火性もあり頑丈というイメージですが、そういう家づくりを目指したのですね。

須森 そうです。もともと蔵は宝物を保管する場所でした。だから冬は暖かく夏は涼しい。要するに湿気がなく腐らない環境なのです。これは人間にとって最高の環境です。昔の人にとっては宝物が大事だったかもしれませんが、私は家族のほうが大事だと思うので、人こそが蔵の環境に住むべきだと考えたのです。最初からそういうイメージはありましたが、具体的になるのはもっと後です。それまではもっと商売重視の考え方だったので…。

中西 なにかきっかけがあったのですか?

須森 40歳くらいのときに自律神経のバランスを崩してパニック障害になりました。突然喉(のど)が苦しくなって倒れるのです。倒れるたびに死ぬかと思う苦しみに襲われました。それが1年半くらい続きました。それまではお金が大事という価値観でしたが、その経験からお金は後からついてくるくらいに思っていないと駄目だなと思いました。

中西 ちょうど日本経済はバブル期の真っただ中で、お金中心の時代でしたからね。

須森 もともとそういう感覚が性に合わなくて、無理をした結果、パニック障害になってしまったのかもしれません。

倒れるたびに「ああ生きていたんだ」という気持ちで起き上がっていました。そんなことを繰り返していると、今までしてきたことは何だったんだろうと思うようになり、自分は弱く、臆病な人間なんだと気づかされました。それで心機一転、再スタートをして、今の会社があるわけです。

 

画期的な建築工法を開発する

中西 建築業界では画期的なシステムを構築したことでも有名ですね。

須森 「山からの一貫体制による家づくり」と言い、良質の木材をたくさんに使うのにコストを下げる仕組みを作ったのです。

それは使用する木材を産地で加工し、組み立てる体制を作ったからなのです。しかもそうすることですべて地元国産材を使うことができるようになるのです。

こうすることで木材産地の売上・利益が3倍になり、しかも施主側にとっても良質な木材をふんだんに使い、低価格で家が建てられるようになりました。この工法が評判を呼び、全国のビルダーから使わせてほしいという要望をいただき、今はノウハウと特許使用を含め、すべてを無償で提供しています。

中西 無償というのは素晴らしいですね。東日本大震災で大津波に襲われたあと「スモリで建てた家は津波でも流されない」と、さらに評判を呼びました。また目の届く範囲の地域でしか施工を引き受けないという責任感もすごいと思いました。そういう堅実で誠実な家づくりの姿勢は、パニック障害を経験して得たものだったのですか?

お客さまと職人さんを大事に思う須森社長の思想が表された絵
お客さまと職人さんを大事に思う須森社長の思想が表された絵
※ホームページより転載

須森 それまでは会社を大きくすることだけを考えていました。でもパニック障害を経験してから、一人でやってきたわけでないことに気づいて地域に恩返しをしないといけないと思うようになりました。だから地場産業に徹しています。

中西 この絵(イラスト参照)の中で、土台となって家を支えているのは須森社長ですか?

須森 ええ。私は縁の下の力持ちなのです。家族愛に満ちた家づくりをし、職人さんへは感謝と敬意を表す、それが私のポリシーです。

中西 須森社長の人柄が本当によく表れていますね。

 

技術は無償で提供

中西 「スモリ」の心を持った家が日本中に増えていけばいいですね。

須森 今までも全国のビルダーに技術を教える講習会を無償でやっていますから、彼らによって全国に広まりつつあります。それとは別に、今度職人を養成する訓練学校を作ろうと考えています。

お客さまと職人さんを大事に思う須森社長の思想が表された絵
「会社はあまり大きくしたくないです。疲れますから(笑)」(須森)
「わかります。自分の適正規模ってありますよね」(中西)

 

中西 こちらは経験のない人でもできるようなところですか?

須森 むしろ経験のない人向けですね。一般的には経験がない人が現場に入っても安い賃金で使われてしまうことが多いのです。しかし、少しでも技術を習得しておけば、不当な扱いをされずにすみますから。

この学校の狙(ねら)いの一つは、一次産業に従事している人たちが生活の補てんとするための技術を身につけることにあります。

農業、漁業、林業の方など、それ一つでは生活するのが難しい社会状況になっています。だから悲しいことに、本当は後を継ぎたいのに生活ができないからやめていく人がとても多い。

しかし、ここで建築の技術を学んでおけば、生活の不安が少しでも軽減されると思うのです。これも無償でやります。

中西 無償で! 素晴らしいですね!

須森 なかなか理解されませんけど(笑)。

中西 お会いしてますます魅力に引き込まれます。今日はお忙しいところありがとうございました。

(合掌)

 

「いやしの村だより」2015年11月号掲載

このページの先頭へ